クリスマスキャロルの頃には

冬将軍がいきなり本気出しすぎの今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

世間はどこもクリスマス一色、キラッキラのイルミネーションがむせかえるほど溢れており、
すでに私の目はヤられそうです。ムスカ様も驚き。


そんな私ただ今、岐路に立ってまして、
このところ曖昧な関係を続けている男性が急に遠方へ異動することになりました。

のるかそるか状態!!!

年内にはハッキリさせようと思ってたらこれか、なんだそれ。
マラソンと思いきや超障害物走もいいとこですやん。
基礎をちゃんとこなさずに何となくやってたら突然の応用編か。
"どうしよう 授業の内容はこんなとき全然使えません"


しかしどうあっても答えはひとつしかなくて。
いつまでもグダグダしてる場合じゃないので、たくさんの意味できちんと本音をさらけ出さなきゃいけない。
覚悟は決めた。逃げちゃダメだ。

今年のモヤモヤ今年のうちに。
違うタイプのカウントダウンが始まった。

"クリスマスキャロルが流れる頃には 君と僕の答えもきっと出ているだろう"

ご家族がいる方のお誘いはお断りしております。

まずもって、私ができるオヤジにばかりモテるのには、明確な理由があります。

それは、私ができるオヤジが大好き、ということ。

 

たいていの場合、はじめから「男として好き」ということはなく、

ちょっと近寄りがたいぐらいの尊敬だったり畏怖の気持ちから始まります。

つまり、仕事の場面で出会うわけですね。

そういう中で先方は、私に協力的だったり、

何か具体的にメリットのある知識や情報や人脈を与えてくれたり、

もちろん美味しいお店でごちそうしてくれたりするわけです。

 

そうすると、本当に心の底から楽しくなっちゃうんですね。

まあ、そりゃそうですよね。夜景がキレイだったり、会員制だったりするようなお店で、

支払いの心配をせずにシャンパンだのワインだのしゃぶしゃぶだのを

いただきながら、わたしが経験したことのない世界の話を、惜しみなく、浴びせるように、聞かせてくれるわけですから。

「おいしい」と「おもしろい」を交互に味わっているうちに、

すっかりいい気分になります。

 

そんな私は、どうやら彼らの目から見て「まな板の上の恋」、、、じゃなくて「鯉」。

らしいんです、どうやら。

 

ちなみに、これまでに私を鯉だと思ったであろう男性の共通点を申しますと、

 

・推定年収2000万円以上

・「長」がつくお仕事、もしくは独立をされている方

・イケメンではない

・ひとまわり以上、年上

・妻子あり

・直接の上司や取引先など近い関係ではない

 

の6つ。ざっくりまとめると、「もうでき上がっている人」です。

だから、彼らにとってはもう、限りなく透明に近いほど純粋な遊びです。

そして、リスクはゼロ。

 

だって、私は彼らの部下でもないし、いつでも縁を切れる存在なわけで。

言うなれば「旅先で出会った相手との一夜の情事」みたいなものなんですね。

要するに、「行きずり」です。

 

が、しかし。

 

私が不思議なのは、彼らが意外にも「後が丁寧」ということなんです。

ちなみに、私は彼らの誰とも寝ていません。

一番ギリギリで言うと、身ぐるみはがされて指までつっこまれたけど、

最終的な一線を越えるにはいたらなかった、ということが1度だけありましたが。

 

それ以外は、ホテルの部屋に来いと言われて行かなかったり。

 

あまりの強引さと偉さにたじろいで、

ホテルの部屋の入り口まで行き、ドアを開けて敷居の上に片足を置きながら、

ドアを断固として開けたまま堅持しつつ「市長、ここは大人になって」と説得を試みたものの、市長があまりにダダをこねるので、最後は説得を諦めてドアを閉め、

茫然と立ちすくむ市長(想像)を部屋に置き去りにしてきびすを返して帰ったり。

ラブホ街の路上で「なんか今、ひょっとしてラブホ街に連れ込まれてます?わたし?」とお伺いを立てた上で丁重にお断りしたり。

と、彼らにしてみれば「寸止め」。

私にしてみればいきなり襲うモードになられてびっくりして断っただけ、という。

だって、都会ってどこも飲み屋もホテルも近接してるじゃないですか。

二軒目行くのかと思いきやってやつです。

 

いずれにしても、私はご家族がいる方のお誘いはお断りしております。

もうね、そういう札をおでこに貼っておきたいぐらいです。

私はただただ、おもしろくておいしい時間を過ごしたいだけなんです。

 

え?虫がいい?

おごらせといてやらせないなんて?

 

いえいえ。その方たち、お財布も心も、そんなに狭くはないはずなんですよ。

だいたい、お店だって向こうが指定してきてるわけですからね。

男の見栄で、自分のステイタスを披露するためにわざわざ高い店選んできてるわけですよ。

はなからその先を期待して。

こちらからしたら、逆に警戒するっつーの、っていうお話ですよ。

赤提灯でいいのになー、と。

 

でね。

さすがにこんな話で顔は出せませんが、

私という女は、べつにそんなにきれいじゃないんです。

というか、いわゆる都会でびしっとキメてハイヒールのかかとをコツコツさせて、

休日は女友達とおしゃれなカフェで過ごしたり、ハイブランドのホテルとかを

使いこなしてる、いかにも不倫してそうなタイプじゃ全然ないんですよ。

だから、けっこう「そんなことしたら向こうがカンチガイするよ」っていう

2人で飲みにいくお誘いをする、とか、そういうことをしちゃうんですよ。無自覚に。

で、「あ。意外とわたしって女だったの?」みたいなことに、

襲われて初めてきづくんですよ。

 

「あ。意外とわたしって女だったの?」ていうのと、

「え。この偉い人、そんなに野獣だったの?」ていうのと。

両方に対してびっくりするわけです。

そこで先方は

「男は全員アホ」というセリフを印籠のように高々と掲げて、

あっさり開き直るわけですけれどもね。

 

でもクセになるのは、

彼らの「もーこいつかわいいぞ!」っていう目ですよね。

野獣とはいっても、人間ですからね。

それも、知性が高い方の。

あとは、エレベーターとか路上とかでいきなり唇を奪う、みたいな強引さ。とか、

さくっと頭をなでなでする、みたいな余裕。とか。

 

唯一信じたいのは、「誰でもいいわけじゃない」ということ。

私よりも多くの女性を見て来ている中で、

せめて選ばれたと思いたい、という心理があるんですよね。

 

話がずれましたが、後が丁寧、のお話。

タクシー代といって10,000円札を握らされてへとへとになって帰った翌日、

メールソフトを開くとそこには長文のメールが。ということがありました。

そこには、

「女性としても人間としても大好きで困る」といったきれいな心情と

「自分勝手な男でごめん。でも、昨日はやれるとこまでやって自分的には最高!」といったバカでアホなケダモノの心情のすべてがあますところなく吐露されておりました。

 

当時28歳だったわたしは、前日の嫌悪感から見るのもいやという感じで

もうそのままメールを無視して縁を切る以外の選択肢はあり得ませんでした。

だけど、6年経って読み返してみると、

こんなのもらっちゃったら、女のロマンだよなあって。

いったいどこの女のロマンだって、昭和のスナック界隈の女の、ですよね。これって。

ま、でもわたしにそういう気質があるのは事実です、はい。潔く認めます。

でね、きっと、それが、にじみ出ちゃってるんだろうなあ。これも認めます。

友人にも、「そりゃ誘われるでしょ。だって○○、いけそうだもん」って言われます。

そうなんだろうと思います。

 

そうなんだろう、と。

既婚者ごときがあたしに手出すなんて100年はやい(遅い?)のよ、

っていう毅然とした態度をおそらくみじんも感じさせられない

情けない我が身を、我が運命をのろいつつ、なんと今、

6年ぶりにこのメールに返信をしてみようかとさえ思っております。

 

一体何がそうさせるのかって、それはもう、好奇心ですよね。

人生に、刺激を求めているわけです。

BITTERSWEET 30 BLUES

数年前、「三十路記念」としてプラチナとダイヤのリングを買った。
自分で自分のために。
なんの記念なんだか、という感じではあるが。
 
本当はフルエタニティが欲しかったけど、
それはいつか来る日までおあずけだ、第一、まだ半人前の私にはちょうどいいや。
 
なんてよくわからない、もっともらしく聞こえる理由をつけてハーフエタニティを選んだ。
 
 
ピンキーリングも着けているがこっちは完全におまじない感覚。
幸せを招くとか、幸せを逃がさないとかいうやつ。
そこまで信じこんでいるわけでもなく、単にかわいくて気に入ったからなんだけど。
 
余談ではあるけど、このピンキーリングがちょっと曲者で、
私の身に何かが起こると本当にマジックみたいにスルリと抜けて失くなってしまうのだ。
 
これまで何度失くしては買い直しただろう。
サイズが合ってない説もあるけど、何かのシグナルなのだろうか。
嘘みたいな本当の話。
つい数ヶ月前だって買い直したばかりだ。安物だけど、そういう問題じゃない。はあ。
 
 
 
さっきも書いた「ピンキーリングが幸せを招く」とか何とか言うのは、
うら若き10代の頃に知った。
 
泣く子も黙る、時代と寝た女こと安室奈美恵の影響だった。
今さら説明する必要もなく、みーんながこぞってこぞりまくって真似してた、
シルバーのリング。
小指にリングだなんて、オトナ!と思ってた。
 
最高にクールでカッコイイ彼女の、切なく甘く誰にも言えなかった
当時の心境を初めて吐露したとも言えるあの名曲、SWEET 19 BLUES はこう紡ぐ。
 
 
“もうすぐ大人ぶらずに子供の武器も使える いちばん旬なとき”
 
19歳が旬だとするならば、今の私は…!?
というのはまあ、ちょっと一旦CM入るぐらい横に置いといて。
 
“さみしさは昔よりも真実味おびてきたね でも明日はくる”
 
今になって観返せば多少の幼さはあるものの、当時19歳にしては随分とアダルトすぎるオーラをまとった彼女が、あふれる涙を真っ直ぐな瞳いっぱいにためて歌いあげる華奢な身体と、長い髪をかきあげる細い指にごつめのリング。
それをテレビの前で見つめる私の姿が鮮明に頭に浮かぶ。
 
“だけど私もほんとは さみしがりやで”
 
この曲を初めて聴いた1996年の原石だった頃よりも19歳ど真ん中のあの頃よりも、30歳を超えた今のほうが私の心を掴んで離さない。いまだに。
これから先もそうなのだろうか。
 
ガラスの10代を経て、気がつけば30代となった私はダイヤになれたのだろうか。
 
 
たたみかけるように続く。
 
“誰も見たことのない顔 誰かに見せるかもしれない”
 
 
記念に手に入れたあの日から毎日私の指に輝く三十路リング。
光を受けてキラリと眩くきらめいてはいるが、小さなダイヤはやっぱり1/2周のまま。ハーフエタニティ。
 
このハーフエタニティリングを飾るであろう残り半分は、どこかにいるはずの
“誰も見たことのない顔を見せられる誰か”が持っているのだろうか?

Ms.myself

正月、恐ろしいものが送られてくる。

友達から送られてくる年賀状である。

別名「現実をつきつける不幸の手紙

ご家庭で余ったのか、このタイミングでも送られてくるのもあって。

 

でさ、また、こどもデカくなってるの。

どっちが親かってくらいにwwww

しかも、真っピンクのドレス着せられて

いっちょまえにアップにしてティアラして、

ほんのりメイクして、ミニ「天童よしみ」か!という貫禄。

なめたらあかん。

 

イケメンで押し通した自慢のご主人、

見る影もなくなって、ついでに髪も、、、、

OLと女子大生がいっぱいのリーマンのナンパ箱のクラブで

ブイブイ言わせてたっけ、、、、、、(遠い目)

(あたし的にはタイプではないのでコメントは控えたい)

 

さらには「新居に遊びに来てね」

家建てたんか。いえ?

しかも旦那さんのご実家の近く。

家ですから、建てたり買ったりって

シルバニアファミリーのお家とはわけが違いますから

そんなサラッと

 

そして、年賀状を無言で見る私に

母親がたたみかける

「どうしておまえにはご縁がないのか」

はい、それね、私も聞きたいです。

でもさ、あなたに 私の1020代と

「男は悪魔だ。お前を貶めようとしている。

騙されてはいけない。 遊ばれてはいけない。」

と呪詛の言葉を吐かれ続け すり込まれて、

箱入りというか、あなたの見えない「檻」に軟禁され

その言葉を信じてきたじゃない。

30過ぎて、突然「どうして結婚しないの?」はないだろ。

男は恐怖の存在じゃなかったんですか?

ねえ

ねえ

ねーーーーーーーーーーえ

 

 

あれほど「よそはよそ」と言った母親は

「みんなお嫁にいってるのに、なぜおまえは貰い手がないのか」

を延々聞いてくる。

知るかよ。

 

こちとら、みんなが桃太郎電鉄並みに

速く時間がすぎてイベント起きまくってるとしか思えない。

それか私がぼっこぼこにされて、ずっとボンビーと動いてたとしか思えない。

しかも変態したすごいボンビーのね。景色まで色変わるやつ。

 

確かに今現在、結婚・妊娠・出産どれも体験してない。

いま、受胎しても十月十日産むまでにかかるんだって。

そりゃ追いつけない。

マラソンだったら周回遅れである。

なぜ私には、心臓破りの坂ばかりでてくるコースばかりなのか。

向かいの北風に涙がちょちょぎれる。

涙で曇る視界、本当にこのコースであってるのか不安になる。

もう誰の背中も見えないし。

 

いや

それだけが女の人生ではないのも

よくわかってるんだけど。

 

成人式から13

あんときとおんなじだけど おんなじじゃないよ、私。

iPhoneのなか、なにもしらない晴れ着の私は

「ちゃんと幸せになってみせて」と33歳の私に微笑む。

 

お返事になってしまう年賀状には、堂々と実家の住所を書き

「あいかわらず独身です。今年はこそ会いたいね」と

期待を裏切らない独身者の設定に忠実な近況を書く。

 

ため息とともにポストに投函しながら

「美味しいてんぷらが食べたい。」と心から思った。

東京ラブストーリー

まずは単刀直入に。
以前ここに書いた、連絡先もわからなかった彼と再会できました。
 
 
今日は曇り空だけど、私にはどこまでも広く高く澄み渡る美しい青空にしか見えません。
モノクロからフルカラーの世界へ。
特大モニタにも耐えられる超最高画質で。
まるでディズニー映画のように草木や花々、無機質に立ち並ぶビルまでにも豊かな表情がつけられ、「私ったらシアワセ〜!!!」と小鳥たちと一緒に世界中に向かって唐突に歌い出したいような気分です。
 
 
まさか彼も私を探していただなんて。
私にまた会いたいと思っていてくれていただなんて。
お互い何の手掛かりもなかったのに、こんなドラマみたいな展開があっていいのだろうか?
神様は確かに居ました。
東京は砂漠ではありませんでした。
賽は投げられるものではなく、自ら投げるものなのだ。
 
 
まさかこんなことが起こるとは。
 
いつもこの言葉だった。
ミスチルだって歌うぐらいに
“何が起こっても変じゃない”この時代、ボタンをちょっと掛け違えただけで
良くも悪くも思わぬ方向へとんでもない出来事が始まってしまうのだ。
いつもいつもそうだった。
 
…何言ってんだと思うかもしれないけど、aikoの「蝶々結び」という曲の
ジンクスというかおまじないを知ってますか?
着メロ(死語)に設定すると好きな人から連絡が来るとかいうアレ。
 
再会のきっかけとなったその日、iPhoneでシャッフル再生したらたまたま流れてきたその曲を、
ジンクスのことも含めて懐かしいなあ、会いたい彼と再会できたらいいよなーアハハ、なんて聴いてたんだけど。そのまさかが。
我々、一生懸命探しましたよ、そしたらね、見つかりましたよ、見つかったんですよ、ってまた懐かしのバラ珍も驚きの展開が。
 
ヒマ人日本代表の私は特にすることもなくフラフラとしていたその日、歩き疲れて座りたくなり、
いつもならドトール辺りで適当に済ませるところを、ふと思い立って彼と初めて会ったそのお店へ向かったのでした。
 
他にお客様が居なかったのをいいことに、お店のかたにこっそりと、
私としてはかなりの勇気を振り絞ってみたら、会いたかった彼はそのお店の常連で、あれよあれよと言う間に新しい展開が始まった。
 
電話番号を書いたメモを託してみたら再会できた、それだけだけど、
それでも私には大きな事です。
 
実は初めて会ったときにすでに彼の連絡先は聞いていたらしいのだが(酔ってて全く記憶にございません…)、
二人の電話番号の下4ケタが連番ということでかなり盛り上がったそうだ。(後から聞いた)
(ヒマ人日本代表だけでなく、酔っ払い日本代表もイケるかもしれない)
 
それなのに連絡が来ないことを悲しんでいたという彼。
私の番号が書かれたメモを見てすぐにわかってもらえて良かった。
どうしようもない酔っ払い伝説は本当にもうこれで終わりにしたいものです。
 
 
まだまだ踏み出したばかりだが、何だかもう風向きから何から違っていて、
この先は底抜けに明るいムードに溢れている予感がする。
私が思ってる以上のハッピーな“まさか”がたくさん散りばめられているはず。
きっとそう。そうだろう。そんな気がする。
「予感」だけで終わることのないようにしなくては。
 
“あの日あの時あの場所で君に会えなかったら僕等はいつまでも見知らぬ二人のまま”だったのだ。
「タイミング・フィーリング・ハプニング」とはよく言ったものです。
 
東京砂漠を彷徨い続けて見つけたオアシスでやっと手繰り寄せた、まだ緩くて結びかけの蝶々結び、誰にも解けないようにこれから堅く結んでいけますように。
 
はじめのいーーっぽ!
 
 
 
***
Aちゃん、ご迷惑たくさんお掛けしました。本当にありがとう。
あなたはいつも私に新しい世界を広げてくれるね。これからは良い話をたくさんできるようにがんばります。
***
出会ったきっかけとなったお店の方々、つないでくださったKさん、もういいと言われるぐらい通います。
***
ドン引き上等のひたすらに重いあの記事を読んだあなたもありがとう。たまには吐き出してみるもんだな。

「ライフタイムリスペクト」

ひさしぶりの男友達からお誘い

「おおお!ひさしぶりだなー!」と見てみると、

BCCでの全送メールや、

なんでこの知らないメンバーに入れられてるんだ?的なfbイベントで

タイトルが「望年会」??「信念会」?? 

あれ、字がまちがっt… とどめの「会費 ○○○○縁」に

なにかを納得するのです。

あと、そこまで露骨じゃないけど、そういう匂いがプンプンする

謎すぎるクリスマスパーティーとかね。

そこから色々察するわけですよ。

変わりはてた友達なんかを

 

ビジネスだったら多少許せるけど、

プライベートで、そのテンションてどのテンションよ。とか思いながら

 

虎穴にはいらずんば とは言いますけど、だいたい虎もいないし失敗ね。

場の盛り上がりに反比例するように、冷めていく自分の気持ち。

冷めるっていうか凍りつく?凍てつくみたいな?

永久凍土のマンモスの気持ち。地縛霊でも相当でかいほうだよね。

そりゃバナナで釘も打つしバラも粉々よねっていう。

 

あと、出会いほのめかすようなパーティーに

うっかり行ったら最後、ガールハントはかどる、はかどる。

そこで結集して女だらけの二次会に突入して、愚痴を肴に大盛況っつうね。

さんざん、こんなところに運命などないと思ってるのに

いまだに一年に一回くらい、こうゆうことあるよね。

 

出かける前のあのトキメキ、淡い妄想のフラッシュ、

そして帰路で感じるあの疲れ、山のような失敗と海より深い後悔、

悲喜こもごもな パーティーシーズンです。

 

 

いつもより人が動いて、

普段は会わない人に会えたりもして、

意外な人と仲良くなれたりして。

その風が起きたとこから、しかもとんでもないところから

風の噂は漂ってきて、わたしの心を掻き乱すのです。

根も葉もなさすぎる自分の悪い噂とかね、

友達の意外なあんなことや こんなこと。

 

それだけではなく もちろん、いい話もあります。

元カレの結婚だとかね。

(これは後日、確証して噂じゃなくなったタイプだけど)

 

なんででしょうねぇ

「元カレの結婚」は、あんなに攻撃力が高いんですかね。

くりだす攻撃は、どれも「かいしんのいちげき

私のステータスはいっきに赤文字でチカチカしはじめます。

どく・こんらん・まひ・ねむり・こおり・やけど

あるとあらゆるステータス異常とともに。

 

別に1mmも、戻りたくもないのに。

あんな面倒な男をみてくれるなんて素敵な女性がいて良かったね

って、心のそこからお祝いしてるというのに。

 

でも、結婚するという女性の、fbのページやSNSのログから 

年や好み、人となりをプロファイリングして

どうして自分と比べちゃっているのか。

自分でも全然わかりません。意味ないよね

 

わかっているのは、元カレの「なけなしの甲斐性」は

この女性に、有効活用されたという事実だけです。

(もしかしたら、別れてから大成長したのかもしれませんけど、

別れたあの時で時間がとまっているので。)

 

そして、共通の友達がさも見ないように、

でもちょっとだけ私の反応をうかがってるということだけ。

私が綾波レイなら「こんな時 どうゆう顔をしたらいいのかわからないの」

っていうテッパンがあったのに。

わたしが笑えばいいというか、

皆に笑ってもらうのがベストだと思ってます。

 

時間は流れているのです。

わたしだって別に何もなかったわけじゃないし、

それなりに日々は辛・楽しいのですが、なんでしょうこの気持ち。

この とりのこされたように感じてしまう

リアルすぎる「時間の流れ」にショックを受けているのでしょう。

 

一部の独身の友達は

「あなたはまだ美しいし、まだ結婚アセらなくていい年齢」と言います。

自分では、そんなふうにちっとも思えませんね。

その反面、既婚の友達は

「早くいい人できるといいね。」と口をそろえて言います。

既婚者とこじらせ独身者の間には、

三途の川くらい簡単に越えられない深くて大きい川が流れているのですが、

むこう岸からは私の事は、そう見えてるのでしょう。

 

 

あ、

でもこんな私にだっているんですよ

「結婚してくれ」っていう人が、二人も。

 

 

 

 

 

 

 

 

母と祖父です。

 

おあとがよろしいようで。

ダメージが大きいので、オチがおもいつかなかったよね。

バウバウ ←やけくそ

振り返れば奴がいる

フジテレビのトレンディドラマの脂がノリにノリまくっていた90年代の
名作のひとつである。
数年ごとに12月頃になると再放送することがあるらしい。
 
恋人たちのクリスマス」("All I Want for Christmas Is You")
それはそれはもう有名な曲で、
クリスマスシーズンともなればどこかしらで必ず耳にする。
これがまたこの日本語版タイトルと
明るく弾んだ曲調にはおよそ似合わない、少し切ない歌詞なのだけど。
 
 
このドラマが放映されていた当時私は中学生で、
29歳だなんて気が遠くなるほど先の話だと思っていたし、
その重さもドラマの内容も何もわかっちゃいなかった。
ふうん、って感じで。そりゃそうだろう。
だから何となく観てはいたものの主なキャストが浮かぶぐらいで、
細かいストーリーは正直あんまり覚えていない。
恋愛だけでなく友情、仕事、人生まで絡んだ
少し大人向けなのは知ってる。(というかググった)
「名作である」なんてのたまってしまったが、
ファンの方にはお詫び申し上げます。
 
 
無常にも時は経ち、気がつけばいつの間にか
そのドラマの主人公たちと同じ29歳となっていた私は、
何を隠そうクリスマスシーズンを目前にして
8年間付き合っていた恋人と別れた直後だった。
今となっては多少おもしろおかしく話せるようになったけど、
その時はもう絶望の2文字しかなかった。
(この話は気が向いたら、また今度)
 
 
 
 
この言葉の意味は29歳をどう過ごしていたかによって大きく変わるのだろう。
中学生だった私が大人になり現実を叩きつけられる。
それはそれは大きく振りかぶって。
 
 
その年はなんとまあ、クリスマスが週末にかぶさるという
「恋人達よ思う存分デートしやがれ!!」と言わんばかりの曜日配列だったのだ。
 
あまりにも長い年月を連れ添った彼と別れたばかりで絵に描いたみたいに
ボロボロだった私は、イブに適当な人とお茶を濁す気になど到底なれる訳なく、
(そもそも適当な人とか居るわけなかった)
友人達も当然予定が埋まっているし、
フツーに出社して仕事して下を向いてマッハで帰宅して、
(余計なモノを見たら目の毒、残り少ないライフが削られるだけ)
明石家サンタ見るしかないと思ってた。
 
のだけど、優しい上司達が飲みに誘ってくれて、
(神様かサンタの集団のように見えた)
私のメガ盛りすぎる泣き言を肴に浴びるように飲みまくり、カラオケで思い出の歌を歌い、滝かと思うほどの涙を流し、声も涙も枯らしながら朝を迎えましたとさ。
オチは特にないけど、これはこれで楽しかったしありがたかったな。
いまだにネタにされてるけど。
 
あの年、「この際だから」と半ばヤケクソであのドラマのDVDでもレンタルしてみようとしたら、権利関係やらでリリース自体されてないわ、確か再放送もなかったわで、結局観直していないままだな。
 
 
クリスマス あゝクリスマス クリスマス(5・7・5)
それがどうした、誕生日じゃねえかよ、とは思うけど。けど。
 
 
今年も聞こえてきました、明るく包み込むような声で恐怖新聞スレスレのすごいこと言う、私たちがおそれてやまないあのCMソング。
 
 
“クリスマスが今年もやってくる 悲しかった出来事を消し去るように”
 
 
 
迫りくる3X歳のクリスマス。
 
 
「私、クリスマス。今、あなたの後ろにいるの」